〇歴史
最初のクラブは、1920年米国オハイオ州トレド市のYMCAに、YMCAに奉仕する成人会員の昼食会として生れました。主唱者は、少壮司法官ポール・ウイリム・アレキサンダーです。
当初、クラブは、トレド市とYMCAを結びつけTolymca(トリムカ)クラブと称しましたが、クラブが州内各地に展開していくにつれて、それにふさわしい名称ということでワイズメンズクラブとされました。これは、YMCAのためのクラブという意味と、キリスト誕生の夜、東方から来た三人の博士たちの意味を含んでいるといわれています。
1922年にはアメリカ、カナダのクラブからなるワイズメンズクラブ国際協会が誕生し、世界的な発展への道を歩み始めました。
1922年に2か国、17クラブで誕生したワイズメンズクラブ国際協会は、10年後の1932年には12か国150クラブの加盟となり、1962年には500クラブ、1982年は1,000クラブが加盟するに至りました。2013年2月現在では70か国、1,580クラブ、30,395名の会員を擁しています。(最新の数値については、東日本区事務所にご照会ください。)
簡単にこれまでの歴史を振り返ると、創立後10年間は北米中心に発展し、次の10年間は海外に重点が移りました。第二次世界大戦下の停滞を経て、戦後は広く世界各国へと飛躍的な発展を遂げました。しかし、1970年代に入り、創立50周年を記念した推進運動と国際本部ビル(米国シカゴ郊外)の新築にもかかわらず、アメリカでの運動の退潮は著しく、1973年には国際本部をスイスのジュネーブに移転し、国際憲法を改正し、再構築を図りました。1970年代には北欧で伸展し、80年代にはアジアにおいて、特に韓国とインドで急速に成長し現在に至っています。近年は旧東欧諸国への展開も進んでいます。
1926年(昭和3年)に大阪YMCAの中に結成された「Yクラブ」と「タイガークラブ」が、1928年奈良傳主事指導のもとに大阪ワイズメンズクラブとなり、このクラブが国際協会に加盟したのが、日本における最初のクラブの誕生です。1930年には神戸クラブ、横浜クラブ、1931年には東京クラブが設立されました。1932年には日本区が組織され、39年には第1回の日本区大会が開催されましたが、1940年に至り国際協会と絶縁し戦時体制に入りました。戦後いち早く日本区再建が図られ、1947年に国際協会に復帰しました。この時、クラブ数は9、会員数は212人でした。1951年には会員数が500人を突破しました。
1975年には日本初の国際会長に鈴木謙介さんを輩出し、国際大会を熱海で開催しました。この熱海大会の経験は、日本での運動に新しい刺激を与え、新クラブの誕生を促進し、会員の増強が図られ、クラブ運営にも独自の工夫が見られるようになりました。
1982年11月には第1回日韓ワイズメンズ合同研修会が開催され、アジア地域での交流も盛んになってきました。1984年には日本で2人目の国際会長に竹内敏朗さんが選出されました。1988年には日本で2回目の国際大会が京都で開かれました。1994年には日本人3人目の国際会長として青木一芳さんが就任しました。1997年に日本におけるワイズメンの運動をより活性化するために、東日本区と西日本区とに分割し、それぞれが独自の活動を開始しました。東西両区間では情報交換、協力体制がとられています。なお、2010年8月には横浜において日本で3回目の国際大会が開催され、また、2010-2011年度には藤井寛敏さんが日本人4人目の国際会長となり、2010年から西村隆夫さんが国際書記長を務めています。
東日本区の2014年1月1日現在の会員数は977人(62クラブ)です。
国際協会は、世界にワイズメンズクラブ運動を広め、加盟各クラブの活動を支援する組織で、各ワイズメンズクラブは、国際協会に加盟しなければなりません。従って、新たにワイズメンズクラブを設立する場合は、国際協会に対して加盟申請を行い、国際協会から加盟認証状(Charter)を授与されて初めて正式にクラブとして認証されます。
国際協会は、統合の礎としての国際憲法を持っており、1974年6月1日から施行され、時代の流れに合わせて、随時、改正が行われています。
国際協会の事務局は、スイスのジュネーブにある世界YMCA同盟の建物の中にあります。また、世界を9つの地域(エリア)に分け、各地域内に地理的区分により区を置いています。日本は、アジア地域に属し、東日本区と西日本区に分かれています。
国際協会には、この協会の立法権をもつ国際議会議員と行政役員がいます。国際議会議員は、任期3年で21人から成っています(注)。行政役員は任期1年で、国際会長、次期国際会長、直前国際会長、国際会計(任期3年)および9名の地域会長(国際議会議員を兼ねる)から成っています。国際本部には国際書記長と数名のスタッフが勤務しています。
国際協会では、2年に1回国際大会を開催し、また、各地域では国際大会の無い年に地域大会を開催しています。
(注)2015-2016年度からは15人(内2人は26-39歳のヤングメンバー代表)で、任期は2年
となります。
日本には東日本区と西日本区があり、東日本区は、静岡県、長野県、新潟県以東の各都道県および沖縄県にあるワイズメンズクラブで構成されています。それぞれのクラブは区内にある7つの部のいずれかひとつに属しています。
部名 地域
北海道部 ;北海道
北東部 ;青森県、岩手県、宮城県、秋田県、山形県、福島県、栃木県、群馬県
関東東部 ; 東京都、千葉県、埼玉県、茨城県
東新部 ;東京都、新潟県
あずさ部 ;東京都、山梨県、長野県
湘南・沖縄部 ; 神奈川県、沖縄県
富士山部 ;静岡県
東日本区には東日本区定款があり、その機能と組織を定めています。国際憲法、東日本区定款には必ず目を通して国際、区・部の組織や定めについての理解を深めることを目指します。
毎年原則として6月に開催される東日本区大会は、各クラブとその会員相互の親睦と啓発を通して、ワイズメンとしての連帯と協力の機会を提供しています。
各クラブ、部、東日本区、アジア地域、国際の組織と関係を図示すると次ページのようになります。
なお、ワイズメンズクラブの各事業の推進役として、国際、地域、区に事業主任、部に事業主査がいます。東日本区では主な事業を会員増強、地域奉仕、国際・交流、ユースの4事業に区分し、それぞれの事業主任が事業の推進に努めています。各部では部長の指導と、区事業主任の支援のもとに、部事業主査がその任にあたっています。各クラブでも事業毎に委員会を設けたり、責任者を任命したりしています。
東日本区は、東日本区理事によって代表されます。東日本区理事は、東日本区役員を任命し、役員会、代議員会を招集します。
東日本区理事以下の役員の種類とその選出方法は、次のとおりです。役員の任期は1年です。
(役員)----------- (選出方法)
区理事 ------------- 指名委員会の指名を経て代議員会での承認を得る。
次期理事 --------- 同 上
直前理事 --------- 前年度の区理事が就任する。
区書記 --------- 区理事により任命され、代議員会の承認を得る。
区会計 ---------- 同 上
部長(各部)--- 部評議会において、次期部長としてあらかじめ選出された者が区理事によ
り任命され、代議員会の承認を得る。
区事業主任 ------ 区理事により任命され、代議員会の承認を得る。
東日本区役員ではありませんが、上記のほか、監事(2名)、常置委員会委員(長)、事業委員会委員(長)、特別委員会委員(長)、専任委員、理事事務局(長)、東日本区事務所(長)が東日本区の機能を支えています。
一方、東日本区には、区の立法を司り、区役員の選出・承認、年次報告・予算の承認を行なう代議員がいます。代議員はクラブ選出代議員であるクラブ会長、部長および部選出代議員(100名毎に1名の人数割代議員)からなります。
各クラブは、東日本区の中のいずれかの部に属しています。国際協会では、部という組織を重要視しており、部活動に功績のあった部長には、エルマー・クロウ賞を与えこれを表彰しています。
部には立法機関としての部評議会と執行委員である部役員(部長、直前部長、次期部長、部書記、部会計・部事業主査)が置かれています。
現在、東日本区には7部があり、東日本区定款の定めるところ以外については部則を定めて部活動を公正、円滑に行なっています。
新しいクラブの設立は、部長のリーダーシップに負うところが大です。また、クラブ訪問は、部長の主要な任務の一つです。
部内各クラブの親睦、情報交換、研修のために部会(部大会)が開催されます。
成人でクラブの入会式を済ませた者は誰でもワイズメンクラブの会員となることができます。入会式を迎えるに当たっては、一定の回数、例会に出席すること、会員の推薦を得ること、クラブ役員会の承認を得ること等、入会するクラブ会則の定めに従う必要があります。
性別、人種、信仰、国籍等を理由に会員の地位を拒まれることはありません。なお、東日本区の定款では、クラブの会員はYMCAの会員になること、およびクラブの会員構成は、同一業種に偏らず、できるだけ多くの職業分野にわたるよう努めるものと定められています。
入会式には、「入会式式文」を用い厳粛のうちに執り行われ最後に会員の心からの拍手をもって新しく入会された方を祝福しましょう。